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2020年 日の出祭り(献饌祭)

生子神社の「日の出祭り」は1月の例祭で、かつては早朝、日の出を待って行われたのでこの名がついたといわれます。
氏子一同が神社に参集し、「神事(献饌祭)」を行った後、「弓取り式」の行事となります。
献饌祭(けんせんさい)は、天文18年(1549年)天然痘で我が子を亡くした氏子が42種の供物を42膳、神前に供えて蘇生を願ったという「生子大明神」の由来である故事に始まるものと伝えられます。また、「弓取り式」は魔除けや豊作を祈願する破魔弓の神事で、大蛇の目に見立てた金銀の紙を貼った的を作り、7歳の男子がこれを射て5歳の男子が矢を引き抜くもので、古代の太陽信仰にも起源があるといわれるものです。

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2019年 泣き相撲

2019年9月22日(日)生子神社の秋の大祭「子供泣き相撲」が行われ全国から1258名のお子様が参加され泣き声と笑い声が絶えませんでした。
この行事は「泣く子は育つ」との俗信に基づいて、子供の健やかな成長を祈願する神事です。
生子神社は神亀3年(726年)9月に創建され、当初は籾山明神と称されていましたが、天文18年(1549年)12月24日氏子の与五右衛門夫婦の一子が天然痘にかかり手当の甲斐もなくこの世を去ってしまいました。夫婦は大変嘆き悲しみ、このうえは籾山明神に蘇生を祈願するしかない思い、霜深い12月末の夜明けに我が子の死骸を背負い境内の清水のおいて水行し我が子の蘇生を祈り、この願いが叶えられれば毎年山海の珍味を42種類42膳供えてお祭り致しますとお願いしたところ、不思議や三日後の朝日が昇るころに大声をあげて泣き出し蘇生しました。この時から村人たちは生子神社と呼ぶようになったようです。
今から150年位前、たまたま地方巡業にきた力士がこの話を聞き子供を抱き上げて祝ったことが泣き相撲のきっかけになったようです。
毎年9月19日以降の日曜日に「子供泣き相撲」が行われており、平成8年11月文化庁長官から国の無形民俗文化財に選択されました。

 
 

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2018年 泣き相撲

2018年9月23日(日)「生子神社泣き相撲」の取り組みの様子です。
今年は県内外から1240名の幼児が参加しました。
ご家族、ご親戚がカメラを片手に土俵を取り囲む中、子どもが力士姿の氏子に抱きかかえられ、かわいい泣き顔を見せる子どもたちの姿を父母らが温かく見守っていました。

 
 

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2016年 復活!大杉神社お囃子

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2015年 泣き相撲

2015年9月20日(日)「生子神社泣き相撲」の取り組みの様子です。
栃木県鹿沼市樅山町(もみやままち)生子神社にて行われました。
今年は県内外から1530名の幼児が参加しました。

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2014年 泣き相撲

2014年9月21日(日)「生子神社泣き相撲」の取り組みの様子です 栃木県鹿沼市樅山町(もみやままち)生子神社にて行われました。

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2013年 泣き相撲

栃木県鹿沼市樅山町(もみやままち) 生子神社泣き相撲取り組みの様子です。

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